生まれてきた理由、生きている意味。
私がまだ物心のつく子供だった頃、
空と海の青さを知ったある日から不意に人間が、「生まれてくる理由」そして「生きる意味」という問いを考えだした。
そして、その日以降というもの今日の今まで何年もの月日をかけてずっと悩み考え続けてきました。
だが、いくつ時間をかけて解いても、誰に問うても、明確なる答えなど一つも出てはきませんでした。
それどころか逆に人に問われ問題が深くなるばかりでした。
悪魔は利益の為に手招きはしても、神は微笑み見守るばかりで何も教えてはくれない。
夜は悲しみを闇で包み込み、太陽は優しく光を与えるよう。
長年、この問いを考えた末に一つだけ今の自分の考えを答えにし解くならば…
『人間が自分以外の人間に「生きる意味」や「生まれてきた意味」を「問う」という事すらがまず「間違っている」』という答えに達した。
人は何処から来て、この宇宙や星がどのように創られ、生かされているかも知らない者(人)同士が意味を問い合うという事すらに意味のない事。
そして、「生きる意味」とはこの世に生まれ、今を生きる人の数だけ答えはあり、一つだけではないという事。
人とは皆、一人一人の顔や身なりが違う様に、今まで生きてきた環境も違えど、価値観だって違います。1から100まで全く自分と同じ考えの人間なんてまず居ないと感じます。ですが、1%でも分かり合えるとは思います。
『天上天下 唯我独尊』という言葉がある通り、
「人は皆、誰しもが、かけがえのない尊き人生の目的を持っている。一人一人に独尊(たった一つの尊い目的)がある。」
例え、生まれ持った「宿命」は変えられなかったとしても、「運命」は自分の生き方次第で変えることはできると私は思います。
福沢諭吉の言葉をお借りするならば、【天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず】
もし人が皆、平等とあるならば、
それは、この短い一度の人生において人が平等となるものは「時間」と「幸せになる権利」だと私は解きます。
人は「自身が幸せになる為にこの世に生まれ、生きている」のかもしれませんね。それまでには、いくつもの苦悩や試練があるのでしょう。
答えはとてもシンプルで意外に身近にあるのかもしれませんね。
〜最後に〜
この記事を書く上で、この記事は私の勝手な持論であり、明確かつ正確な答えではありませんので、全てを鵜呑みにせず、この記事を見て頂いた上でご自身は「どう感じたか?」「どう思ったか?」という思考を大切にして頂けたら幸いです。この物の溢れ切った世の中、拡散された情報社会で、現代に生きる何かの一歩となればと思い今回はこの記事を書き残します。
もし想うことやご感想がある方が居ましたらコメントに残して頂けると嬉しいかぎりです。
それでは、最後まで記事を読んで頂き誠にありがとうございます。